日本スケート連盟がスケート部門の統括組織です。この組織は2006年に不正経理
や利益誘導疑惑が持ち上がり、会長以下8名の理事が辞任する事態となりました。
この事件によって、会長は橋本聖子氏(自民党参議院議員)となり、新しいスタート
をきることとなりました。
この時にフィギュア委員長に就任したのは平松純子氏でしたが、彼女は2002年の
ソルトレイク不正問題を契機として考案されたISUの新採点システムに関わってい
ました。キム・ヨナ選手が女子選手として初めて200点を越えた時も「新採点シス
テムが審判員に浸透してきた結果が表れた。良いものはどんどん加点しようという流
れになった」と述べています。
ここで言っている「良いもの」とは、審判員の研修ビデオに使われた(現役選手の演
技映像を使用するのは極めて異例なことです)キム・ヨナ選手の演技であることは間
違いないことのようです。
また、日本スケート連盟は2008年2月、解任して公的な活動を無期限自粛させて
いた元理事達の一部活動を容認することを決定し、同年9月には尼子健二氏(元フィ
ギュア副委員長)と城田憲子氏(元フィギュア強化部長)をグランプリシリーズに、
審判として派遣することを決め、尼子健二氏は10月のスケートカナダへ城田憲子氏
は11月のロシア杯へ派遣されました。
翌年の、2009年1月には織田信成、村主章枝両選手が城田憲子氏の現場復帰を求
める嘆願に対して、理事会側もこれを認める決定を行いました。
そして2009年の四大陸フィギュアスケート選手権に、城田憲子氏をアシスタント
チームリーダーとして派遣しました。
城田憲子氏の復帰については、様々な憶測が飛び交い、織田選手と村主選手が復帰を
を求めたのは、城田憲子氏がモロゾフコーチとの仲介を果たした交換条件ではないか
という見方もありました。もちろん、連盟内外から批判の声も上がりましたが、日本
オリンピック委員会(JOC)の幹部が容認したため、批判は鎮静化しました。
以前の会長、久永勝一郎氏が不正経理問題で失脚し、フィギュアスケートの勢力は急
速に力を失いました。そして会長に就任したのはスピードスケート出身の橋本聖子氏
だったのです。このことは、フィギュアスケート出身の役員には脅威でした。
スピードスケートとフィギュアスケートは、実は接点があまりありません。
スピードスケートの選手は北海道出身が多いのですが、フィギュアスケートは北海道
ではあまり盛んではないのです。多くの方は不思議に思うかもしれませんが、北海道
でもスケートの盛んな地域は釧路、帯広、苫小牧などで、実はウインタースポーツと
言えばスキーを思い浮かべる人間が多いのです。また、スケートの盛んな地域でも室
内リンクはアイスホッケーがメインに使用しており、フィギュアスケートの選手を目
指すなら、東京や関西の方が指導者やリンクの環境に恵まれているのです。
バックボーンの違いが、その後の対立の原因の一つになるのはおかしな話ですが、予
算配分は、競技の今後を決める重要なものですから、自分達の分野に1円でも多くの
お金が欲しいと思うのは理解できることですし、様々なフィギュアの事業計画を立て
て予算を多く配分されるように努力した、この点については非難されるべきではあり
ません。問題はそれを私物化する仕組みをつくり、フィギュアスケートの振興という
本来の目的がおざなりにされてしまったことです。
多くの役員達は、この事件を契機に反省して本来の財団の趣旨を考えるべきでした。
スピードスケートが優遇されるようになり、フィギュアは冷遇されて、自分達の立場
も危うくなるのではないか、そう考えるのは間違いだったのですが、長年のぬるま湯
体質に浸かっていた人間には保身しか思い浮かばなかったのかもしれません。
実際には、橋本聖子氏には自民党参議院議員という仕事があり、会長とは名ばかりで
実際の運営を取り仕切っていたのは、元長野県岡谷市長の林泰明会長代行です。
林泰明氏は元会長の久永勝一郎氏に対し、訴訟を起こすなどの毅然とした対応を行い
疑惑の渦中にいた理事達は解任して、公的活動への無期限参加自粛を決めたのですが
一連の事件で利益誘導が指摘された長野県の野辺山リンクは、他に適当な施設がない
という理由で続けられ、更に2008年には活動を自粛させていた7人の元理事達の
活動を容認することを決定したのです。また、前述の不正経理事件の際、事件には無
関係という理由で名誉会長の荘英介氏は辞任しませんでした。この名誉会長である、
荘英介氏は以前、会長を長く務めていた人物です。人脈を期待して残すことを決めた
のでしょうか。だとすれば、どんな人脈なのでしょう。疑問が残ります。
前会長の久永勝一郎氏は、国際スケート連盟の副会長も務めるなど国際的な政治力も
も強く日本スケート連盟の天皇と言われていました。またその側近だった城田憲子氏
は女帝と呼ばれ、大きな力を持っていたのです。彼等を苦々しく思っていた人間が、
不正経理を告発して問題が発覚したのかもしれません。それは誰だったのか?
ここで、連盟に城田憲子氏が復帰することになった時の状況を思いだして下さい。
批判の声を鎮静化させたのは、JOCの幹部でした。
なぜ、JOCは、城田憲子氏の復帰を容認したのでしょうか。ここでJOCと日本スケート
連盟との不可解な繋がりを考えましょう。
両者の繋がりを象徴しているのが、平松純子氏のJOC理事就任です。
2008年、フィギュア委員長の平松純子は、2007年世界選手権の運営に関して、連盟と
コンサルティング会社の間に民事訴訟が発生したことを受けて辞任しましたが、現在
も日本オリンピック委員会理事、日本オリンピアズ協会常務理事、神戸市教育委員な
どの要職を務めています。なぜ、トラブルの責任を取って辞任した人間が要職に就け
るのか?一般の人間には理解不能なことが行われているのです。
日本スケート連盟の問題は、未だに解決していないのかもしれません。